悲劇が確実なものであればあるほど、美しい静寂な瞬間がある。
堀辰雄「風立ちぬ」「菜穂子」は、室生犀星の「杏っ子」と同じ文学全集に収められておりました。やっぱり古書店の全集コーナー巡りは止められないです。
「風立ちぬ」は、堀辰雄の若々しく澄んだ叙情に満たされた、また浪漫主義の香りのする作品です。若い二人がサナトリウムという「特別な時間」を得て、「確実な悲劇」に向かって歩んで行く。しかし、悲劇が確実なものであればあるほど、美しい静寂な瞬間がある。若い二人はその瞬間を共有し、大切に受け止める。その貴重な叙情を書き残すために描かれたのが、「風立ちぬ」ではないかと思いました。
一般に生きるということは、多くの雑音や目的や妄想によって汚されるものですが、「風立ちぬ」の世界には多くの諦めしかない。だからこそ、互いに思い計る愛情が、稀有な清浄さで輝きを放つのです。
虚構は苦手かもしれないが、繊細な感性に満ちるー菜穂子ー。
「菜穂子」は、「母から見た娘」「娘を思う男」「娘の現在」と心理ドラマ的要素から構成され、最期には娘の心境を映しています。恐らく、「風立ちぬ」が経験から発した小説であるのに比べ、虚構を構築するということに非常に苦労をしたのではないかと思いました。堀辰雄はきっと繊細な人だったのでしょう。何でもないような物語の中に、小さな感情の発露や、絶望に向かう気分、死の影といったものが漂っています。