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スペア

ネットの草創期に『太陽と風と夜の国』という物語のサイトを開設していました。そちらより、『スペア』です。あなたはオリジナルですか? それとも?

1996.01.01


スペア。あなたはオリジナルですか?

一 世田谷

冬の夕暮れ時の世田谷の路地裏。住宅の庭々に植えられた木々は、とうに落葉して、丸裸なのがうら寂しい。喪服の老紳士と擦れ違い、会釈を交す。一周忌に故人を偲ぶ気持ちは、僕も変らない。だが、足取りが重く、遅い時刻になってしまったのは、なるべく大学の関係者や同僚の目を避けたいためであった。
以前は度々訪れ、親しかった邸宅の古い木造の門が、今はよそよそしいものに感じられる。見慣れた玄関先に出れば、まだ、居残っていた参列者も帰り支度をしていた。見知った顔も居るのに違いなかったが、僕は、まっすぐに喪主の、教授の奥さんの所へ歩いて行って、深々と頭を下げた。「先生に、お目に懸かりに参りました。」
面を上げると、婦人は少し戸惑うような表情であったが、先に立って、僕を霊前に連れて行ってくれた。
御位牌の脇に据えられた、穏和な表情の懐かしい先生の肖像を目の当りにすると、この一年の自分の来し方が悔やまれた。先生には申し分なかったし、また、先生が生きていてくれれば、自分も、こうはならなかったのではないかと思われた。
黙祷を捧げて振り帰ると、婦人がお茶を出してくれた。
「お久しぶりですね。今日は、道子さんも来て下さったのよ。」
「そうですか。」
ミチは日本に帰ってきていた。だが、彼女から連絡がない以上、僕にはもう関係ないことだ。それに会わせる顔もないだろう。
「今日は、ご挨拶させていただいて、有難うございます。」
僕は、急いでお茶を飲み干した。座敷の奥に控えた大学の研究者連中は、やはり、睨むような、蔑むような視線をこちらに投げかけている。僕は、もう一度、仏前に頭を下げ、立ち上がった。先生の表情をしっかりと目蓋に焼付けていた。恐らくもう二度とここを訪れることはないだろう。

二 先生

K教授は、すでに医学の権威だったが、大学院の研究室では、或る物質が生命に与える影響とメカニズムに関するテーマに取り組んでいた。その物質に着目すること自体、かつてなかったし、独自の理論の下に研究は進められていた。
僕は、先生に尋ねたものだ。
「どうしてこのようなことを思いつかれたのでしょう?」
「観察の中での閃きですよ。啓示と言っても良いかもしれない。ふと、一瞬、頭の中に作用機序が閃いたのです。」
教授が脳溢血で亡くなられた時、研究は、すでに最終段階に入っていた。先生に認められ、もっとも近くで研究に携わっていた僕が、その成果をまとめ、発表する使命を担っているということは、誰の目にも明らかだった。そのテーマが他に類を見ない独創的なものであり、ある種の革新を学会にもたらすのは必至であったし、研究もほぼ完成していたので、大学も、僕の指揮下に研究室を存続させた。また、この研究の完成は、今後も大学に僕の席を約束するものであった。

三 恋人

ところが間もなく、たった一つの恋愛の破局が、僕の精神を打ち砕いた。
同じ研究室の仲間であり、かつ、恋人であったミチが、欧州で暮らす両親の下に行く、と、言い出したのだった。
「何故、この時期に、行かなければならないんだい?」
「今しか行くチャンスはないのよ。」
「僕には分からないな。君は、独立した大人なのだし、責任も持っているじゃないか。何のために行ってしまうのか、僕には分からない。」
「歳を取ってからじゃ遅いのよ。暫く、両親と暮らして、思い出をつくりたいの。」
彼女はもどかし気に言った。それは、僕にも分からないではなかった。高校からずっと両親と離れて暮らしていることも、彼女の両親が高齢だということも、彼女が一人娘だということも知っていた。
「でも、僕はどうなるんだい? 君は、いつ帰ってくる?」
「3年か、5年か、とにかく自分が納得するまでは、向こうにいるつもりよ。」
「ずっと待たなければならないのか?」
「あなたには、研究があるでしょう。」
「ちょっと待てよ、仕事と恋愛は、全然別のものだろ。君がいない間、3年とか5年とか、僕の人生には、君との思い出がなくなってしまうのだぜ。」
幾度となく話し合ったが、その度に、感情的な争いになった。やがて、ついに和解もできぬ内に彼女は渡欧してしまった。

四 ミステイク

研究室内での、そんなゴタゴタのために研究は遅れがちになっていた。僕はペース取り戻そうと焦ったが、何をしても詰まらないミスを起こしてしまうのだった。実際、失恋のダメージは大きかった。つい、彼女のことを考えがちになったし、彼女と同時に、自信とか平穏な気分とか、喜びさえも失われた気がしていた。
研究に残された作業は、幾つかの例証のデータを取るだけであったが、半年を費やしてもまだ終わらなかった。だが、もう、ひと月とはかからない筈であった。僕はすでに論文の大半を書き終えていた。
そんな或る日、信じられないことが起こった。米国の学会で、我々の研究とまったく同様のものが発表されてしまったのである。思いがけないことであった。僕は、急いで資料を送るよう、米国の機関に依頼した。研究の要点は見事に語り尽くされていたし、例証も完璧なものであった。文中の「幸運な発見」という一節が、教授の“閃き”という言葉さえ彷彿とさせるのだった。また、翌月の専門誌には、『生命科学の新しい視点が開拓された』と記されていた。予想通り、この研究は、ちょっとしたセンセーションを巻き起こした。

五 妄想

大学は、本来自分たちが得るはずだった栄光を失ってしまったので、研究室を存続させる理由はなかった。それに研究が遅れがちであったこと、僕がミスを多く犯していたことも知られていたので、学内では、当然、僕に非難が集中した。研究室は解体され、学生や研究者たちは他の分野に吸収された。僕にも、或るグループの末席に居場所を残されたが、将来の見通しは丸っきり立たなくなっていた。ほんの小さな恋愛のつまづきのため に、何もかもを失ってしまっていた。
僕は次第に大学には顔を出さなくなり、その分、昼間から酒を飲むようになった。それに、まだ癒えぬ悲恋の虚しさが、酩酊をさらに深いものにしていた。
(何故、こんなことになってしまったのか?)そんな疑問ばかりがグルグルと頭の中を巡るのだ。
こうしてひと月、二月、三月と過ごす内に、僕の中には、ひとつの妄想が養われて行った。それは、若い時分に読んだ、或る詩人の言葉に由来する。「世界は、簡単な仕組で動いている筈だ。そうでなければ、度々、故障するはずだから(コクトー)」。きっと歴史もそうなのだろう。ニトログリセリンや、電話や、遺伝子の二重螺旋といった歴史上の重要な発見が、複数の場所で、奇妙とも思える程ほぼ同時に行われていたということは、中学生でも知っていることだ。何故、こんなことになってしまったのか? 神様は、歴史上の重要事項については、あらかじめ幾つものスペアを用意しているに違いないんだ。或いは、ヒトラーやナポレオンにだって、スペアというものがあったかも知れない。彼らだって、戦争によって交通を開き、科学を発展させたのだから。今日という時代は、あまりに都合の良い偶然の積み重ねで成り立っていると、思えなくもない。とにかく僕は、もう、無用なスペアになってしまったんだ。

六 帰路

先生のお宅を出たその足で、北国の実家に向かう寝台車に乗り込んだ。窓硝子に、まだ喪服のままの自分の姿が映っている。これから僕は、家業を引き継ぎ、何事も成し遂げずに一生を過ごすだろう。(無用になったスペアに、いったい存在する意味はあるのか?)そんなことばかりを、ぼんやりと考えている。

(了)




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